
先日、コンプレックスという言葉に触れたので少し詳しく書いておこう。
撮影の話をしているとコンプレックスを持っているという話を聞くことが多い。
でもある傾向があって、それは自身の劣等感のことをコンプレックスと言っているのだ。でも実際はコンプレックス=劣等感ではなく、コンプレックスとはそんなに簡単なものではない。
語られる言葉の中には、顔のこと、髪のこと、手のこと、足のこと、体型のこと、体質のこと、性格のことなどが含まれるけど、簡単な言い方をすると「気に入らないところ」。
これを意識的に、もしくは無意識的にそこを隠そうとする。お会いする前にメールなどで写真を見せてもらう場合はそういった写真を選ばれていることが多いので、会うまえにおよその見当がつきやすい。
そういった所を、どう見せるか、見せないかというのは写真の中だけでは解決しやすいけど、今回はそういう話ではない。
それは、なぜそうするのか...が隠そうとする以外に理由が無いからだ。
会話の表面ではなく奥を覗いてみると、劣等感を持っていることが原因で無意識にその人の思考や行動に影響を与えているのが判る。そう、そこにコンプレックスの存在がある。コンプレックスとはそういうものだから、今回書いたように劣等感から起因するものだけでなく、多くのバリエーションがあって、こういうものが人をつくっていると言えるかもしれない。
だからこそ「こうなっているよ」という指摘をする。もちろんその原因も話すが「だからそう見える」「だからそう見られる」という根本に気づくのだ。簡単な言い方をすると自身の癖が判るといった感じかな。
ナチュラルな自分がいるとする。
フラットな位置から見るという視点を持つことで、元の自分がナチュラルではなく何か偏った感じに見えてくる。
その原因はとっても小さなものだったりする。
理想とする自分の姿はどうかを考えると、その小さなものは無いに等しい。
さぁ、思考を変えて自信を持とう。そういう姿の方が素敵だ。